妻が退院してから、家族のために働くことを決意し、家事・育児に積極的に参加、仕事より家庭を優先する生活を始めました。
しかし、会社というのは子育て支援が全くというほどないので、非常に働きにくいと感じました。
昔からの風習、男はとことん外で働き、女は家で家事・育児すべてを行えみたいなものが根強くあると感じています。なぜなら、経営陣が、そういう世代で、家事・育児などしたことがないから、その大変さが全く分かっていないからだと思います。
家事・育児の大変さの再認識
妻が退院してから、家事・育児に積極的に参加しようと決意しました。手始めに、食器洗いや風呂掃除、洗濯という自分にもできそうなところから行っていくことからやりました。
やってみて思ったのは、これだけでも結構大変だなでした。
はたから見ているのと、実際にやってみるのとでは全く違うということを肌で感じました。
洗濯にしても、子供は大人と違って、食べ汚しや泥の汚れ、おむつが漏れたときの汚れなどなど、たくさん洗い物が出てきます。手洗いしないとダメなものもあります。
これが、子供が増えていくと洗濯物の量が半端じゃなく多くなるので、干すのも大変ですが、乾いたものをたたんで、しまうまで本当に大変です。
この作業がスムーズに進めばいいのですが、子供がぐずったり、おむつ交換必要だったりすると、作業がまともに進みません。
洗濯ひとつでこれだけ苦労するので、その間に買い物、掃除、食事の準備など、すごい仕事量です。会社で仕事するより、よっぽど大変であることを身をもって体験しました。
現在は料理も少しくらいならできるようになりました。
これに加えて、保育園、幼稚園、学校の行事があったら、到底一人でこなすことはできません。1日だけやればいいのなら、できるかもしれませんが、家事・育児は365日休みなく、行う必要があります。
だから、会社で働いているんだから、えらいんだという認識は全くなくなりました。むしろ、無償でやっている家事・育児のほうがよっぽどえらいと思います。
会社の子育て支援の無さに怒り
会社の子育てに対する支援は皆無です。
・扶養手当てはオムツ買ったら終わり程度の少ない金額
・保育園の定時は9:00~16:00なのに、会社の定時はそれよりはるかに長い
・子育てにはお金がいるのに、育児休暇を取れば、家計がもたない
・子供がその日、急に熱を出したりしても、休暇が取れない場合がある
・台風等で警報が出て休校になっているのに、出勤させられる
などなど、挙げればもっと出てきそうです。
給与から、年金、税金を取られて、手取り額が少ない状況で子供を育てていく必要があるのに、10日程度のオムツ、粉ミルクを買ったら、おしまい程度の扶養手当しかもらえません。
保育園に預けると言っても、共働きまたは病気であることが入所条件になっています。
この場合、「家事する時間をどうやって取るの?」「体力の無い子供を大人より長い時間、保育園に預けとくの?」そんな疑問がたくさん浮かんできます。
育児休暇を取るにしても、収入が60%になります。もともと、ギリギリの給与なのに、60%の収入ではやっていけるわけがありません。
少子化と言われているのに、子育て世代の支援をまともにやろうとしない国や会社なので、子供が増えるはずがありません。
少ない資金で子供をたくさん育ててください。ただし、サポートは一切しませんでは、虫がよすぎる話です。
そう思っていくうちに、人生とは何なんだろう?って考えるようになり、会社勤めを続けていくことに疑問を持ち始めました。
給与の頭打ち
かつては、在籍年数によって、給与があがっていましたが、現在は能力成果主義とか言い出して、給与を上げなくていいシステムを会社は作っています。
今現在の等級によって、給与の最大値を決めてしまうシステムです。年齢関係なく、等級が同じなら、給与は同じということですが、実際はそうはいきません。
給与を上げたければ、昇格しかないような仕組みです。昇格すれば、当然責任が重くなります。しかし、昇給しても給与は大して上がりません。
40歳も過ぎれば、昇格はほぼありませんから、そのうち給与が頭打ちとなります。私は、40歳を過ぎてますから、昇格もしませんし、給与も頭打ち状態になっており、どんなに評価をあげても給与に反映されません。したがって、全く、仕事に対してモチベーションがあがりません。
見せかけは、同じ等級でも評価ごとに給与の上限が異なるようになっています。
評価ランクはS,A,B,C,Dとあり、平均がBです。これがAとかになると昇格ラインになるのですが、恐ろしいことに評価Aの人を出すと評価Cの人を作らないといけないというなんとも理不尽な評価制度が裏で働いていたのです。
要するに、全員の評価を平均したらBになるように裏工作されていたのです。
したがって、全員Aもなければ、全員Cもありません。
なので、基本的に評価は全員Bとなり、評価ごとの給与上限は見せかけということを知りました。
それぞれ、行っている仕事も目標も違うのに、他の人の評価が自分の評価に影響するというばかげた制度だということを知って、この会社に価値なしと思い、オサラバすることを決意しました。
副業から始められるアフィリエイトとの出会い
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長いプロフィール記事を、最後までお読みいただき、ありがとうございました。