第2章 入社後の理不尽と体調不良

ダイビングインストラクターになるまでのつなぎの会社だという思いで、今の会社に入社し、ソフトウェア開発部門で働くことになりました。

しかし、その思いとは裏腹にとんでもない理不尽な対応が待っていました。

入社後すぐの洗礼

私は中途採用され、入社してソフトウェアの開発部門に配属されました。
入ってすぐは、パソコンの扱い方、プログラム作成する環境など、今までと違う環境に慣れるのに必死でした。

幸いにして、自転車で10分のところに勤務先があったので、通勤そのものは楽でした。このまま適当にこなして、ダイビングインストラクターの免許を取ろうと決めてました。

ところが、入社してわずか3週間で

「工事現場の応援に2か月も行け。」

と言われ、この会社の理不尽さをまず味わいました。

「現場見るのも勉強だし、危険作業はさせないだろうから、見学みたいなものだ。」

というようなことで説得させられ、泣く泣く行きたくもない遠く離れたところに2か月の出張応援に行くことになりました。

今から思うと、現場から応援要請があったものの、現状忙しくて、誰も出せない状況だったから、中途でも採用してそいつに行かせようという目論見だったのだと思います。

そのとき、もう一人採用されたのですが、その人も同じ運命でした。

今のネットビジネスのことを、その時知っていたら、おそらく、行かずに会社を辞めていたと思います。

応援期間中の理不尽

まず、現場から寮まで、電車を乗り継いで、1時間30分もかかる場所に住まわされました。工事現場の朝は早く、7時30分に始まるとのことで、5時30分には寮を出る必要がありました。

寮の朝ごはんは7時からですから、寮から出る朝食は食べられません。起きたら、前もって買っておいたパンとかをかじってすぐに寮を出るという生活でした。

見学だからと思っていったら、「お前、やる気ないんか?」とか言われる始末です。工事現場の経験が全くない人間にいきなり何をしろというのか全く意味が分かりませんでした。

工事現場といってもエレベータの工事現場ですので、転落は死を意味します。
そんなところで、やる気なんか起こるはずありません。

中には優しい人もいたので、その人だけについていて、その人のお手伝いだけやりました。

試用期間なので、残業させない規定のはずが、3時間も4時間も残業させられました。

そうなると、寮にたどり着くのが、夜10時とかになり、夜の食事も寮で食べられません。ぎりぎり食べれるときもありましたが、そのときはお風呂をとるか食事をとるかの選択でした。

試用期間でしたので、毎日その日の出来事を日誌として書かなければなりませんでしたし、作業着の洗濯もあり、睡眠不足がどんどん溜まっていきました。

しかも、休みは日曜だけ、土曜も祝日も出勤でしたし、追い込みの時は日曜も出勤させられ、13連勤というひどい仕打ちでした。

2ヵ月間よくもったなという想いでした。

応援後の代償

ようやく、応援が終わり、久しぶりに自宅に戻りました。戻る日は38度の熱が出ていました。しかし、寮を引き上げる日でしたので、無理に帰ってきました。

その時、上司から電話がかかり、

「こっちに寄って顔見せれるか?」

みたいなことを言ってきたので、

「熱があるから無理です。」

と言い返しました。すると、

「少しでも無理か?」

と言ってきたので、

「38度以上あるから、無理です。」

と言い返して、ようやく聞きいれてくれました。
言い返すのもしんどい状態なのだから、1回で聞いてくれと思いました。

ところが、数日して熱は下がったものの、まるでごはんが食べれない状態になりました。ごはんを食べても、気持ち悪くなって、戻しそうになったり、実際に戻したり。

トイレに駆け込んで、ずっと座っておくしか安心が得られなかったのです。病院にももちろん行きました。しかし、胃腸薬もらうだけで一向によくなりませんでした。

ついに、会社にいけなくなり、欠勤ということになってしまいました。
試用期間だったので、有給休暇がありませんでしたので。しかも、休日出勤はすべてお金に換金されていたので、代休もない状態でした。

結局、残業代でたくさん給与をもらっても、病気やけがをしたら、そこにお金を使う羽目になるので、結局のところ、身体が壊れて、お金もなくなるということです。

私は、半年経過しても一向に良くならなかったので、病院を変えてみました。
そうすると、ピロリ菌反応があって、胃が荒れており、そのせいで食事がとれない状態であることが判明しました。

ピロリ菌除菌の薬はえげつない副作用があり、ひどい人は寝たままになるという話でした。私は何とか動けましたが、気持ち悪いの下痢するだの、日常生活にも影響するほどでした。そんな薬を1週間欠かさず飲まなければならなかったのです。

これも、あの時、劣悪な環境に応援出張させた会社のせいだと思い、それが証明できたら、訴えてやろうとまで思ってました。結局、弱い者は泣き寝入りですよね。

ピロリ菌除去が終わり、整腸剤を飲むこと3か月でようやく、元の生活が取り戻せました。その間、ボーナスも欠勤カット、有給休暇も0、大好きなダイビングも全くできない状態という最悪の転職1年目でした。

ダイビングインストラクターの断念

こうして、理不尽な会社の対応のおかげで、身体が壊れてしまいましたが、ようやく、元の生活ができ始めたので、久々にダイビングに行きました。

しかし、潜ると肺が痛くて、呼吸するのがつらい状態でした。この状態ではダイビングそのものができないので、もうしばらくダイビングはしないようにしていました。

そんなある日、ダイビングショップが閉鎖になってしまい、プロコース受講途中で、ダイビングインストラクターになるということを断念しなくてはならなくなりました。

あの時、出張さえ行かなかったら、こんなことにはならなかったのにと、会社を恨みました。

その会社で働き続けるしか道はなくなってしまったのです。
そして、また理不尽なことが起こりました。

第3章 慣れ親しんだ土地から不便な土地への異動