第3章 慣れ親しんだ土地から不便な土地への異動

出張から戻ってきた後、上司が変わり、その上司が非常にいい人でしたので、ピロリ菌のときも優しくフォローしてくれました。

なので、その人の下でなら、仕事をしていても苦労はありませんでした。しかし、いい人は出世も早く、わずか2年で部長になってしまい、私は別の嫌な上司の下につくことになってしまいました。

さらに追い打ちをかける出来事が起きたのです。

会社の本社移転

私が理不尽な応援に行かされて、身体が壊れ、ダイビングインストラクターになるという夢を打ち砕かれた会社にいて、2年ほど経過したとき、恒例の年始あいさつ時にとんでもないことが発表されました。

それは、

「来年4月に本社を移転する」

という意味が分からない発表でした。隣の町へ移転するというものではなく、県を2つまたがないといけない田舎への移転です。

当然、社員からはブーイングの嵐です。しかし、当時の人事本部長はこう言い放ちました。

「サラリーマンは転勤承知の上で働いていると思っています!」

どう思いますか?

誰しも、慣れ親しんだ街を離れたいとは思いませんよね。それをこんな風に言うなんて、ありえません。私はそもそも自宅から近いから入社したのであって、移転すると聞いていたら、入社していません。

片道2時間かけて通勤するか、引っ越して近くに住むか、転職するかの3択でしたが、転宅奨励金という名の一時金支給のために、会社の近くに引越ししたのが運の付きでした。

引越しした先は、

 ・車が一人一台必須
 ・スーパーやコンビニは近くにない
 ・スーパーで売っている食材の値段が高い
 ・よそ者を受け入れないしきたりみたいなものがある
 ・親の手助けありきの行事内容や頻度である
      ・
      ・
      ・
などなど、挙げればキリがないですが、非常に住みにくい街です。

今となっては、あのとき引っ越さずに辞めればよかったとしみじみ思います。

移転後の生活

引っ越ししてから、私は車通勤を選択しました。しかし、まだ子供が産まれて4か月でしたから、この選択は間違っていました。

というのも、その時、我が家には車は1台でしたから、私が乗って行ってしまうと、妻は子供をベビーカーに乗せて、踏切を渡って、買い物しに行かなくてはならず、これは相当大変です。

まず、踏切を渡るのにベビーカーのタイヤがはまると抜け出すのが大変なうえ、買い物袋とベビーカーを両方押すのは、あなたがそういう経験がないのであれば、想像をはるかに超える大変さです。

そこで、車をもう1台持つことにしました。そうなると、どうなるかわかりますか?

車の維持費が倍になり、家計を圧迫するということです。おまけにこの地域は雪が降るので、スタットレスタイヤも2セットいることになるのです。置き場にも苦労します。

家計は圧迫しましたが、妻の買い物苦労は少しは軽減されたと思ったので、それは仕方のない経費だと思うことにしました。

私が電車か自転車で通勤すればよかっただけなのかもしれませんが、電車は1時間に2本、昼間は1本しかなく、自転車でも40分くらいかかるし、雨や雪だと億劫になるので、決断しきれませんでした。

それから月日が流れて、子供が年少のときに、妻に異変が起こったのです。

突然の妻の入院

子供が幼稚園に行きだして1ヵ月ほど経過したある日、いつものように帰宅したら、留守でした。電話がかかってきて、近所のお宅にお邪魔しているとのことでした。

しばらくして、子供と一緒に帰ってきましたが、なんと、園長先生も一緒だったのです。いったい何があったのかと思ったら、妻が子供を送っていたとき、その場で倒れたとのことでした。

特に熱もなく、元気な様子だったのにです...

幻想や幻聴の状態になっていました。そのままでは、「やばい」と思ったので、子供と妻を連れて、私の実家へ行き、そこで、一夜を過ごし、次の日、精神科を受診しました。

通常の診療所では診察不可で、専門の病院へ行くことになりました。そこでの診断結果は、統合失調症の疑いで、即入院を言われました。本人はおかしくないと思っているので、入院を頑なに拒否しましたたが、とにかく休むことが必要と必死に説得して、入院することを承諾しれくれました。

子供は幼稚園を退園させ、妻の母親に面倒を見てもらうことにし、私は会社へ説明をし、短時間労働を申し入れました。

住みにくい街へ引っ越したこと、車通勤をしたことを後悔しました。私と結婚しなかったほうがよかったのではないかと思いました。

こうなってしまったのも、私の責任なので、妻に寄り添うことを決意し、週1回の面談、会社、妻の実家との行き来を妻が入院していた期間の2ヵ月ほど行いました。

妻が退院した後、妻は子供を預かってもらっている妻の実家へ、しばらく居候させてもらいました。通院のこともありましたが、嫌な思い出のある自宅には戻れません。

私も引っ越しを考え、物件探しと子供の保育園探しに明け暮れました。
保育園は何とか見つかり、物件も見つかったのですが、結局、自宅とそれほど離れた場所ではないところになってしまいました。

妻が退院後の新居での生活

保育園も決まったので、新居での生活を始めましたが、妻はまだ家事はおろか通常の生活をするのがやっとの状態でしたので、妻の母にしばらくいてもらって、手伝っていただきました。

そうしなければ、生活が成り立ちませんでしたので。

保育園の送迎や役員も当然、私がやりましたし、風呂掃除や洗濯はやらないと妻の母にも申し訳が立たないので、できる限りのことはやりました。

そのおかげと言っては変ですが、多少の家事はできるようになっていきました。

今では、会社に行くより、家事をするほうがあっているのかもと思うくらいです。それほど、会社で働くことに魅力を感じていないということにもなります。

子供が小学校に上がるころになると、妻の状態も良くなって、今では薬もなく生活できています。

それだけでも感謝です!

もっと、大切な家族と一緒に過ごしたいという思いが大きくなりました。
それと同時に家事と育児の大変さを思い知ることにもなりました。

第4章 アフィリエイトとの出会い